せめて

 「死は救い」だなんて、そんなこと思ってもいない真人間どもの手垢で汚れた言葉でも、そうとしか形容できない気分の日は往々にしてあります。例えば今日とか。

  8時間待ち望んだ帰路に着く足すら重く、何もかも投げ出してただ楽になりたいと思うことしかできない、そんな日です。

 

 それで終わることができるなら10年前には死んでるので、あと数十年、せめて家族とかの血のしがらみが無くなるまではこの苦しさと付き合っていかなければなりません。それだけでも気が遠くなります。

 報われない苦しさの分、せめて救いは早く来てほしいと思うのは甘いのでしょうか。頭がうるさいのにぼーっとする。今夜も眠れなそう。